世界の名作や難しい本を読まなくても、「読書好きです」と胸を張って言えるようになろうと思う。
本を読むことが好きです。
でも、世界の名作とか、日本の文豪の作品とかは、それほど読んでいません。
って、かっこつけました。
名作などは、ほとんど読んでいません。そんな48歳です。
なんでだろう、「名作的なもの」とか「難しい本や論文」を読むことがかっこいい、大切、上級、だと思っているところが私にはあります。
だから、軽い本(世界的・日本的名作、難しい本などではないものをここでは「軽い本」と総称します)ばかり読む自分のことを、深くない人、浅い人だと感じ、「この本を読んでいるのは、ちょっと恥ずかしいことかも」と、どこかで感じていたりします。
でも、私が「軽い本」だと思っているものについて、私がいいなと思っている人たちがTwitterなどで「素晴らしかった」などと言及していることがあります。
そんなとき、「あ、この人もこういう本を読むのか」と驚くとともに、「この本をよかった、と公言するのは、恥ずかしいことではないのかしら」と不思議に思ったりする……そんな数年を過ごしてきました。
本を読むのが好きなのは、楽しいし、気分転換になるからです。
それに、新しい世界や考え方を知って、自分の世界が開かれていく感覚もありますよね。
私が読書を通して求めているのは、そういったことです。
だとしたら、「名作や難しい本を読むことだけが読書である(そして、そうではない本ばかりを読むことは、深くない)」という認識を改めるべきだと、最近少しずつ思うようになりました。
よし、認識を変えよう!
本屋さんをめぐっているときとか、Twitterでおススメ本を見た時、「あ、読みたい」と思う本には、そのときの自分が惹かれる何かがある、のかもしれません。
だから、私はこれからも「読みたいものを、読む」のスタンスで、そしてこれからは「それを、恥ずかしいことと考えないこと」を意識していこうと思います。
そういう意識の変化が、自分を大切にすることにつながるから。