アレコの日記

アラフィフ/団塊ジュニア/42歳で高齢出産/年長児1人/フルタイムワーク/都内在住のアレコが、アラフィフの日々のなかで、考えたこと、やってみたこと、おすすめしたいことなどを書いていきます。

仙台に移住して、1か月がたったので。

仙台に引っ越してきてから、だいたい1か月が経ちました。
子どもの学校のことやあれこれでまだ繁華街?を見て回れていないのですが、それでも、1か月で感じたことが色々とあります。

仙台は、「ちょうどよくて、快適」。本当に。

この1か月を一言でまとめると、「ちょうどよくて、快適」ということになるでしょうか。

街を歩く人たちの数が、多すぎず、少なすぎず、ちょうどいい。
だから、喫茶店に入っても、「まずは席を確保しなくちゃ」とがつがつしちゃったりしません。スタバでもどこでも、混んでいてもだいたい数席はあいています。喫茶店でちょっと長居したとき、席を探して困っている人を見かけて、そわそわしたり……ということもありません。快適です。

テーブルも、隣席との間が余裕を持って配置されています。ちょうどいい。全体的に「余裕がある」感覚です。

そう、「余裕がある」というのも、この1か月で感じたワードでした。

地下鉄のホームで、子どもがちょっと先を1人で歩いていても、皆さんさりげなくよけて歩いてくれるし、よけるためのスペースに余裕もあります。よって私も、「危ない危ない」とせかせかせず、余裕を持って子どもに接することができています(多分)。

子連れで電車に乗ると、たいてい席を譲ってもらえるのには、驚きました。
みんな、それが当たり前だと感じているから、というよりは、多分、気持ちにも空間にも余裕があるからなのだと思います。東京の混んだ電車の中で、会社帰りに立ったまま数十分も揺られるのは、そりゃ辛いですよね。でもこちらだと、多分そんなに長く電車に乗る人はほとんどいない。しかも電車も混んでいないから、「電車の中で立つ」ことへの心身の負担がもともと少ないのだと思います。

いずれにしても、自分の子どものために席を立ってもらうのは本当に嬉しいことです。ありがとう、みなさん。さらに、その隣の人までが私(子どもの付き添いだから)のために席を空けてくれたりすることも、一度や二度じゃありませんでした。本当に心が温かくなるし、まだこういう状況初心者の私は、ぼーっと感激してしまっています。

仙台と言えば……伊達政宗!!

そんな仙台。街を歩いていると、とにかく目につくものがあります。牛タンもずんだも東北楽天イーグルスも目に入ってきますが、とにもかくにも圧倒的ナンバー1は、伊達政宗です。

引っ越してくるまで、こんなにも伊達政宗仙台市民(および宮城県民にも?)愛されているとは知りませんでした。私の中の伊達政宗は、大河ドラマ『独眼竜正宗』で、政宗役の渡辺謙が眼帯をしていたことくらい……。乏しい。ので、ひとまず、Wikiで調べましたが、文化人であったこと、健康維持に意識が高かったことなど、気になるところたくさんなので、少しずつ政宗のことも調べていこうと思っています。まじ、楽しみ。

引っ越して1か月。すでに育まれている「私の街」的な感覚

2週間ほど前、つまり、引っ越してまだ2週間くらいのころ、気づいたことがありました。それは、私の中にすでに、仙台に対しての郷土愛というか「私の街」的な愛着が育まれている、ということでした。なんと<いうか、生まれ育った街への思いとはまたちがうけれど、特別な愛着を持っている街、という感覚です。
ああこの感じ、知っています。以前、名古屋に住んだときにも、いつのまにか私の中にどーんとあった、感じです。ただ、今回のこの感じは、名古屋の時以上にたしかな存在感がある気がします。

なんだろうこれ、とちょっと考えてみたのですが、夕方の「仙台ローカルニュース番組」の存在が大きいのかもしれません。
仙台には「仙台ローカル枠」というか宮城県のローカルニュース番組」が多いようです。しかも内容が充実しているし、放送時間も長い。私の出身地である地方都市にもローカルニュース枠はあるけれど、それは、「(仙台とか名古屋のような)地方の中心地のニュース枠の中にさらに小さくある感じ」でした。ローカルニュース番組は、多分なかったんじゃないかなあ。

こちらに来てからローカル番組を毎日見ているわけではないけれど、すでに県内のだいたいの市や町の位置や特徴がわかってきたように思います。
そうしてすっかり「宮城通(つう、です。とおり、ではありません)」っぽく仕上がってきました。この「宮城通」感が、アラフィフの私には、ものすごく心地いいんです。

東京およびその近郊に30年近く住んだけれど、この「宮城通」感のような「東京通」感は、私の中には養われませんでした。
この30年ずっと感じていたのは、「東京は、いつまでたっても私の街にならない」という思いです。ただ、そのニュアンスはさまざまで、上京した18歳のころは「だからこそエキサイティングで楽しい」という思いでした。それが、年を取ったり子どもが生まれたりするうちに、「だから、寂しい」という思いに変化していったように思います。そうした「おらが街」感を求めていたのも、仙台へ引っ越した理由のひとつでした。

予想通りではあるけれど、「私の街」感が自然と養われている感じが、久しぶりで、なんだか豊かな感じがして、今の私は大変嬉しく思っています。

子どもの中にもそうしたものは育っているようで、「あ、伊達」とか「また伊達政宗だよ」と、広告や看板、車のナンバーなどを見ては、東京との違いを楽しんでいるようです。

さあ、2か月目がスタートします。
2023年5月は、どんな感じかな。いまから楽しみです。